躁うつ病でもむりなくげんき

躁うつ病と診断されて早10年。ゆる~く生きてます。

欲求の最底辺

こんにちは、私です。

 

今日は趣味と病気の話をしたいと思います。

少しお疲れ気味なので、短めにまとめるのが目標です。

 

私の趣味は、漫画やアニメ、ゲームなどなど所謂オタクと言えます。

 

20歳の頃、病気を発病する前は貪欲に本も読みましたし、映画も観ました。

 

知識欲がすごくあったと思います。

 

病気を発症した直後は、毎日生きるか死ぬかの二つの選択肢を行ったり来たりする生活だったので趣味なんてそんな余裕はありませんでした。

 

25~28歳くらいの頃かな、うつの状態が多少安定した頃には「本を集める欲求」がとてもありました。

いつか読むだろう、あの作家さんもこの作家さんも気になる!あ、好き作家さんの新刊買わなきゃ!と、躁状態だったのかもしれません。

積読が溜まりに溜まって、読まない本がたくさんありました。

それでも、本そのものに対する興味はあったんです。

 

 

 

でも最近、悲しいことに本や映画、アニメやゲームに対する興味を失っています。

本屋に行っても心が響かない。何も欲しいと思わない。興味がない。

 

 

ただ、今は食と睡眠に対する欲求がひどいです。

ただひたすら寝ていたい。

美味しいものをたくさん食べたい。

 

心理学でマズローの欲求っていうのがありますよね。

 

私の欲求は今最底辺。

 

この欲求の階段を今後上っていくことができるのか。

 

 

障害者としての就職観

こんにちは、私です。

 

うつ病から躁うつ病を経て、病気を発症してから早10年。

 

新卒の頃はバリバリ仕事をする自分、困難な仕事を乗り越えて上司から評価される自分、愛嬌たっぷりで先輩から可愛がられる自分、大好きでした。

 

とにかく頑張ってる自分が好きだった。追い詰められてる自分に快感を覚えてた。それで周囲から仮初でも可愛がってもらえる自分に何とも言えない優越感。

 

今の私にとっては邪魔でしかない感情です。

 

働くのも、楽な仕事がいい。

 

もう、過酷な頭脳労働はしたくない。

 

定時で帰りたいし、自分のプライベートを最優先にしたい。

 

朝も10:00始業がいいし、8:30始業なんてついていけない。

 

18:00になったらPCを即座にシャットダウンしたい。

 

人間関係でぎくしゃくもしたくないから愛嬌だけは振りまくけど、振りまいた結果同じ部署の人から嫉妬を買ったこともある。でもそんなん知らないよ!私の過失じゃない、職場内で揉め事を起こしたくない、怒らず笑ってヘラヘラ波風立てずに過ごしたい。

 

 

 

 

こんな感じで、仕事に対してのモチベーションが非常にゆる~~くなりました。

 

今現在、障害者として就職活動中です。

 

 

 

今年の4月、一般枠で就職したものの、諸々の事情でゴールデンウィークあけにはその会社を退職。

私にはいろいろ無理でした。

 

一般枠で就職する前は、障害者枠で就業していました。

 

 

一日6時間を週4日。

 

時給約900円。

 

障害年金を貰って実家暮らし、生活費を多少家庭に入れていました。

 

通院はカウンセリングと診察を都内の病院に月1回。

 

交通費は往復1万5千円くらい。

決して安くはない交通費を払って月1で都内の病院に通って理由は、

①カウンセリング代が診察代と込みなので、別途お金がかからない。(自立支援の範囲内に収まる)他の病院ですとカウンセリング代は安くて30分2500円くらいからありますけど、実績のあるカウンセラーの先生だと60分1万円超すことも珍しくありません。

②カウンセラーの先生が信頼できる。私の答えの出ない悩みに的確にアドバイスをしてくれる、決して意見を押し付けない、誘導もしない。ただ私一人では考えつかない新しい側面からアプローチをしてくれて助言をしてくれる。

③主治医の先生が穏やか。地元の心療内科にも通っていた期間もありますが、その先生と比べたら仏さまのような安心感。ただし、毒にもならないけど薬にもならない感じ。

④主治医がやたらと薬を増やさない。減薬・断薬難しいからね。薬をパカパカ出す先生は私の将来のことを本気で考えてるのか?と怖くなります。

 

現状に特に不満はありませんでしたが、30代の私、実家で親の脛をかじったままこの先ずっと生きていけるのか?という不安はずっとありました。

当時はそんなに多くはなかったですけど、多少貯金もありました。

自活するなら地元でも良いのでは?という質問も耳にたこができる程聞きました。

残念ながら、私の家族は非常に歪で、一刻も早くできるだけ遠く距離をおきたかったというのが本音です。

 

30代前半、引越代を捻出できる今しかない!

勢いで都内の企業に一般枠で就職しました。

 

就職先の社長には自分が障害者であることを伝えていました。

社長もお試しで私のことを採用してくれましたが、いろんな無理がたたって2ヶ月弱で退職。

 

 

私が一般枠で無理だった理由。

 

①9:30始業がまず無理。

 通勤ラッシュが嫌で朝5時起き、7時半頃に自宅を出ていました。

 朝がめちゃくちゃ弱い私。無理してたな。

 

②業務で覚えることがいっぱいありすぎたので、始業開始1時間前には出社しお勉強。

 仕事中は自分の案件をこなすことで精一杯で膨大な業界用語を覚える暇がない。

 残業は絶対したくないので朝始業前に勉強するしかない。

 

③仕事を教えてくれる先輩に質問しづらい。

 これが一番苦痛でした。

 IF関数・VLOOKUP関数は使える私。でもそれをどうやって活用して仕事をこなぜばいいのかわからない。

 仕様書が難解なので、慣れるまでは逐一質問するしかないのですが、質問しづらい空気。

 Excelに関数の組み合わせを記述して貰ったので、それを参考にしようとしたら無情にも消される始末。これは一見で理解できない私が悪いのかと自分を責めましたが、友達に言ったところ先輩の教え方が悪いと評価されました。私は悪くなかったのか…。

 

④2ヶ月目に一日の案件を2倍にされ、作業時間は半分以下に縮小される。

 これも辛かった。

 一案件10時間かかっていたのに、2回目にして半日でやるようにスケジュールを組まれる。

 マネージャーに無理です、と伝えたけれども、私の仕事を管理している先輩から早く仕事終わらせろオーラが凄い。どう頑張っても無理です。

 一日の案件が2案件に増やされてる。一日半かけて1案件やってたのに急に一日で2案件はいくら何でも無理があります。

 

 

ゴールデンウィーク前半までは耐えました。

 

が、上記理由により仕事行きたくない虫が発病。

朝起きれない。

身体が動かない。

仕事に行きたくない。

無茶な仕事の振り分けされてるのが苦痛すぎる。

 

ゴールデンウィーク後半、2人の友人に相談しました。

 

一人は大学の同級生で元フリーター、現役主婦。自分のやりたいように無理せず自然に生きる自由人。

もう一人は同じ病院に通院していた10歳程人生の先輩。同じ職場に15年程勤めた堅実な方。現役主婦。

 

元フリーターの友達は「そんなにやりたくない仕事を無理してやるなんて人生の無駄」という意見。

その言葉を待ってた!!

 

人生の先輩は「せめて三か月頑張ってから退職を考えろ」という意見。

う~ん…三か月も私の心身が持たない気がする…。

 

 

 

人に相談するときって、たいてい自分の気持ちは固まっているんですよね。

その後押しをして欲しいことが多い。

 

私は元フリーターの友達なら私の言って欲しい言葉を言ってくれると思って相談しました。案の定、友達は私の望む言葉をくれました。

 

でも、ひとつの側面から物事を見るのも良くないかなって思って、元フリーターの友達とは全く真逆の生き方をしてきた人生の先輩の友達にも相談しました。

人生の先輩の意見も確かに参考にはなりましたが、私の中で彼女の意見に反論がありました。今のまま無理して働いたら私は早々にダメになる!

 

それが私の気持ちでした。

 

 

そういうわけで、一般枠での就職は2ヶ月弱で終了。

今は単発の派遣で日銭を稼ぐカツカツの生活をしながら、障害者枠で仕事を探しています。

金銭面では社会人史上最も恵まれない生活を送っていますが、もう無理して働きたくない!ので、今のところ後悔はしていません。

 

就職活動は正直難航しています。

 

5月に退職して、8月中旬に定職に就いてないんだからそりゃ難航中ですよね。

 

でも焦って無理して条件の合わない就職先を決めて、またすぐ辞めるっていう負のサイクルをそろそろ断ち切りたいんです。

 

 

 

今日はぼちぼちこれくらいにします。

 

今後、どうしたら自分は一般企業で障害者として無理なく働けるか?について考えていきたいと思います。

 

 

本日ここまでご覧になって下さった皆様、ありがとうございます。

良ければ今後もお付き合い下さい。

 

躁うつ病との長い付き合い

はじめまして。私です。

 

軽くはないですけど、私の病気になった経緯を説明させて下さい。

 

22歳、新卒で入社した会社(IT系)で超絶ブラックな大炎上プロジェクトに配属されて約半年。

 

月の残業100時間オーバー。

月のお休みが二日だけ。

徹夜をしても終わらない仕事の量。

毎日終電。

22時過ぎに上司が飲みに行くと言えばノーとは言えない新人、私。

加えて、私に過失がないのに15万円ぽっちで二週間以内にアパートを出て行けというトンデモ大家との闘い。(月の休みが2日しかないのにどうやって物件を探せと!?)

 

他にも大小様々な問題もありましたが、上記だけでも心が病むには充分過ぎる要因が揃っていると思います。

 

23歳の誕生日を迎える頃にはすっかり心身も病んでしまい…。

定時を過ぎるとまったく頭の働かず、簡単な足し算引き算も覚束ない。

お気に入りだったストールもどこかに無くしてしまったり。

元々大学で心理学を専攻していたこともあり、これはもしかしたらもしかするのではないか?とインターネットでうつ病診断を複数テストしてみたら、「今すぐ病院に行って下さい」という警告が出る始末。

 

上司から休みをもぎ取り心療内科を受診したところ「うつ状態」と診断され、診断書を書いて貰い翌日から即休職。

 

それからの一年間、あまり記憶がありません。

 

こんな感じで私のうつ病とのお付き合いはスタートしました。

 

28歳くらいまでは、私の人生の一番華やかな時代(24~27歳くらい)を全部病気に持っていかれた気がして凄く悔しくて誰を恨んだらいいのか分からずひたすら悲しかったです。

33歳になった今は紆余曲折をへて、吹っ切れました。

若くて華やかな時代、病気のために何も出来なかった。

その頃健康だったら今頃もしかしたら素敵な旦那さんと幸せに結婚生活を送って子供も産んでいたかもしれない。

そんな可能性だってあったかもしれないのに、未だに未婚、勿論子供もいない私。

惨めで孤独で怒りに満ちていました。

 

でもある友達のおかげで、今の人生もそんなに悪くないなって思えるようになりました。

今は躁うつ病と診断され、行き当たりばったり、なんとなくゆる~く生きてます。

病気になったことは仕方ないし、悔やんでもどうしようもないし、それなら今を楽しく生きようと思っています。

 

そんな私の病気との付き合い方や、過去のこと、今のこと、趣味や考えてることなどなど、徒然と書いていきたいと思います。

 

少しでも興味を持って下さった方、良ければお付き合い下さい。